安楽死

中国の中央テレビで「白い巨塔」を放映していた。何度見ても、号泣してしまう。「無念だ」のシーンもよかったけど、ラストの屋上で、財前がケイ子さんに「オレは間違っていたんだろうか」というようなことを問い、ケイ子さんが「分からない。でも、あなたが好きなの」と泣き崩れるシーンは思い出しただけでも滂沱。といっても、記憶のままのイメージで書いているので、実際とは異なっているかもしれない。


さておき、中国の「白い巨塔」。すでに海賊版のDVDも出ているので、いまさらテレビもないのだが、なんとなく見ていると、中国語の吹き替え版では財前教授の声がちょっと高くて、あまり号泣気分にはならない。ということは、どうやら私の中の「白い巨塔」は、唐沢寿明江口洋介ら出演者の日本語の音や彼らの呼吸音などとセットになってインプットされているらしい。


話変わって、富山の病院で起きた「安楽死」の問題。このニュースは中国の新聞でも報道されていた。中国にとっては海外の出来事なので、「こういうことがあった」という報道にすぎなかったが、2003年、ある人物の死をきっかけに、「安楽死」問題に盛り上がったことがある。


この人物というのは、1986年、中国で最初の「安楽死」事件のきっかけとなったといわれる王明成氏。当時彼は、母親を「安楽死」させたことが罪に問われ、約1年間の禁固刑となったが、のちに無罪として釈放された。


その本人が2000年に胃がんをわずらい、余命いくばくというとき、医師に安楽死を願い出たが、医師は国家の法律にそれを実施できるものがないとして、「安楽死」を拒否。王氏自ら「安楽死要求」をマスコミに知らせたことから、特に注目が集ったものの、2003年8月3日、「安楽死」がかなわないまま、本人は亡くなった。


その後、しばらく「安楽死法」について取り沙汰されたようだが、マスコミが熱しやすく冷め安いのは日本も中国も変わらない。その後、あまり大きな状況の変化はなさそうだ。


私自身のことを考えると、私は一人っ子なので、もしも病気で親よりも先に死ぬようなことがあれば、特に私の母は何をしてでも、私を生かそうとするだろう。自分の最後は自分で決めたいところだが、私はこれまでずいぶん勝手にやってきた親不孝者なので、たぶん、そうなったときくらいは、親の好きなようにさせてあげたいと思う。


「自分がよりよく死ぬ」というのは、非常に大事な永遠のテーマだが、結局死んでしまえばそれまでだ。後に残る者に悔いが残るような死に方はしたくない。「安楽死」というのが、だれにとっての「安楽」かということで言うならば、私はこれからも生きていかなければならない私の周囲の人々にとっての「安楽」でありたいと思う。