ブロゴソフィア

ニューズウィークジャパン」のブログ特集を見ていると、最後に締めに「ブロゴスフィアはトイレの落書きとなるのか、あるいはジャーナリズムの新たな基点となるのか」とあった。


ブロゴソフィア=ブログ圏はたぶん、それ自体はブロゴソフィア以上でも以下でもないと、私は思う。トイレの落書きとなるか、ジャーナリズムの新たな基点となるか、そういった価値の付与は、数多あるブログ群を利用する側の問題だ。そして雑誌をはじめメディアもまた、ブログを利用する側だとするならば、ブロゴソフィアをゴミにするのもジャーナリスティックなものとするのも、「ニューズウィーク」側の問題ではないかと私は思う。


ただ、日米中だけみても、それぞれ国によってブログ事情は異なる。アメリカでは昨年2月、イラクで死亡したジャナーリストと米軍との関係を巡る発言についてブログ上で追究されていたCNNのニュース部門最高責任者が辞任した。もっともこの件について、果たしてどれほどブログが功を奏したのかはいまひとつよくわからないのだが。また、CBS放送の誤報を指摘したブログは、米誌タイムの2004年の「ブログ・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。


一方、一般メディアが官制である中国では、ブログはある種の「自由な言論空間」だ。あまり自由にやるとたちまち封鎖されるが、国外のポータルサイトを利用し、国外で発表すれば、国内からはアクセス禁止になるものの、発表する方法がないわけではない。また、国内ブログでも、ギリギリの表現で上手くやっているところも少なくない。中国のブロゴソフィアは、体制の統制と表現の自由の熾烈なバトルの場ともいえる。


それにしてもアメリカでも中国でも、ブログが社会に与える影響力は日本以上にパワフルだ。そしてそのパワフルさは、情報を作り出し操作したいと考える人々に、容易に利用されやすい。ブログに流される情報に、どのような意図があるか、場合によってはよく見極める必要がある。この意味でも、ブロゴソフィアに価値を与えるのは、やはりそれを観る側であり利用する側の問題だと思うのだ。