対中ODA

ODA改革の検討が進んでいる。自民党JBIC円借款部門とJICAを統合する方針を固めた。またこれとは別に、対中ODA北京オリンピックが開催される2008年を目途に、円借款の新規プロジェクトを中止する方向に向かっている。


中国に限っていえば、経済発展目覚しく、第三国に自ら援助も行い、宇宙船までとばしてしまうかの国にODAは必要ないという意見から、中国の軍事力に対する懸念、単に中国くそったれという感情論まで含めて、日本の世論は概ね対中ODAは必要ないという風向きだろう。


対する存続派の意見の1つに外交カードが挙げられる。金を出さなければ口も出せないというのは確かにその通りだと思うのだが、外務省のODAサイトを見てもどの辺で外交カードになったのかピンとこない。国策なので、国民にはピンと来ないものかもしれないが、それでは「外交カード」という口上も説得力に欠く。なかなか分の悪い話である。


ただ、日常的に暮していて思うのは、中国は「外からの知恵」を必要な国だということだ。なぜならそれは単なる貧困問題などではなく、国のシステムとしてまだまだ前近代的なあるいは混沌としたものを引きずっているからだ。


法治ではなく人治といわれる法システムしかり、最近話題の環境問題しかり。ちょっとした社会のしくみでも、突き詰めてゆくとどこかでコンフリクトを起こす。あまりにも急いで発展したために、国の根幹となるシステムが追いついていないように思う。


宇宙船は飛ばせても、この国が自国の環境問題を解決してゆけるとはとても思えない。たとえ制度を整えても、儲かるとなれば、住民の飲み水を汚染しても排水をガンガン流してしまう工場が、それほど簡単になくなるとは思えない。その汚水や汚染大気は日本にも影響を及ぼす。


そうした状況にある国を援助するかどうか、するならどう援助してゆくかは、日本が考えることだ。それはまた、中国との付き合い方を考えることでもある。今後、ODAは廃止され、何かの形で援助は続いてゆくかもしれない。しかし何にせよ、風に吹かれるように対中ODAを中止して、新たな援助のしくみを設けたところで、問題は先送りされるだけだ。対中ODAの行く末は、本来はもっとオープンな場で広く検討されるべき問題ではないかと思う。