報道の自由的ビジネス

北京のインテリ向け一般紙として人気の「新京報」で編集幹部が解任され、反発した一部の記者がストライキを起こした事件があった。続いて広州の「南方都市報」でも副編集局長が解任されたことを、香港紙が報じた。どちらも独自取材を売りにしている新聞で、前者は農民の立ち退きについて、後者は炭鉱事故について「行き過ぎた報道」が解任の原因になったとされている。


CCTVの元職員からこんな話を聞いたことがある。CCTVでも事件の真相を追及するドキュメンタリーが人気だ。番組をきっかけに事件が社会問題化することも少なくない。一方、CCTVといえば党の中央報道機関である。報道のOKとNGの分水嶺をどこにおいているかというと、たとえば公害を報道する場合でも、直接、政府の管理問題としては取り上げない。××企業の××工場が問題だというふうに焦点をずらす。もう少し突っ込んだ報道をする場合でも、基本的には中央に関わらず、地方のこのレベルならまあまあOKだろうというふうに判断する。そのように、中国のドキュメンタリーは作られる。


ではCCTVの取材班はどこに行っても、CCTVの名前を水戸黄門の印籠みたいに振りかざせるかといえばそんなことはない。公安にぶちこまれることもあれば、取材先でぶんなぐられることもあるという。


海外の人間が「中国は報道の自由がない」というのは簡単だ。けれどそれを一番身に染みて感じているのは、心ある現場の人間であるだろうとこの国にいると思う。そして同時に、「自由がない」なかでも、新聞やテレビなどのメディアはその「自由」を切り売りしながら、しっかりビジネスにしてゆくのだ。