旅順

薄曇。駅前でタクシーをチャーターして、大連から南に1時間強の旅順へ向かう。


旅順は軍港の町である。このため、外国人への開放は一部の地域に限られ、外国人は専用ツアーに参加するケースが多い。中国人ツアーも多数あるが、こちらは外国人が参加できない。もっとも、旅行会社を通さず、安ホテルで参加を申し込めば、私が回ったかぎりでは断られることがなかった。多少、中国人のふりをすることができればOKということらしい。


ただし、中国人が行きたいところと、日本人の興味のある場所は異なるのである。中国人ツアーの主なメニューは、山上の公園からの軍港見学、「アジア最大」の蛇博物館のほか、愛国教育スポットの中ソ友誼塔、勝利塔、万忠墓など。一方、日本人ツアーでは、日露戦争の激戦地203高地と当時、乃木大将と露ステッセル将軍が会見した水師営会見所、そのほかは非開放地区のため、正規の旅行社を通じて許可を取る必要がある。203高地は桜の名所だそうで、春先には中国人向けツアーでも訪れることが多いという。


結局、ツアーはやめて、タクシーを半日チャーターすることにしたのだが、妙にご機嫌のドライバーは「オレ、外国人が入っちゃいけないって知らなかったからさあ、こないだ韓国人を軍港に連れてったんだ。したら捕まっちゃって、罰金500元(1元=13円)も取られるし、韓国人はワアワア泣いてるし、大変だったんだよー」とケラケラ笑った。大連のタクシードライバーが会社に納める1日のアガリは200元、この200元でもなかなか厳しい金額なのだという。


途中で道に迷い、通りすがりの農村のおじさんに道を聞いたものの、さらに道に迷う。年齢不詳ながら30代後半にも見えるドライバーは、「オレ、中国人は嫌いなんだ。農民は教養ないし。やっぱり、日本人はいいよね!」とプラスティックの人形のごとき笑顔で言いながら、もとのところまで戻ると、なんのことはない、彼が道案内の看板を見間違えていたのだった。


水師営会見所では、退職して2年というご老人がボランティアの解説係をしていた。若いころに日本語を勉強したというそのご老人は、日本語で「これが会見のときの写真で」などと説明をしてくれ、「はい、ここで写真撮って」と写真スポットまで教えてくれる。


同地生まれの同地育ちで、日中戦争終結時は18歳だったという。そのころの旅順と日本軍についてたずねると、「当時は日本の植民地だったので、日本軍人はとてもえばってましたけど、でも……」と目をしばたき、話題はまた乃木大将に贈られたという白馬の話になった。


203高地では、中国人のツアー客がそろって息を切らしながら坂をのぼっていた。若いガイドが「日露戦争では日本軍6万人が死に」と解説すると、おじさんたちから「ほお〜」と声があげる。頂上には写真撮影コーナーがあり、日本人の年輩男性が、日本語を話す写真屋のおばさんに白い軍服を着せられ、「はい、こっち。ここから撮れば全部入ります」と場所と角度の指示を受けていた。数軒並んだ屋台では、小学生らしい男の子が父親に戦車の模型を買ってくれとせがんでいる。少し離れたところに、「国の恥を忘るべからず」の愛国看板がたっていた。


帰り、タクシードライバーが外国人に許可されているルートは遠回りなので、近道の中国人ルートで帰ろうという。私は2日後に、友人の結婚式があるため捕まりたくないと言うと、「降りなきゃ大丈夫!」と笑う。そしてそのまま「外国人通行禁止」の看板を通りすぎ、軍港前で軽くスピードを落としながら、「写真、写真」と促した。そこはごく一般的な港町で、「軍艦」もただの漁船のようだった。シャッターを切っても、軍人が飛び出してくることはなかった。


海外旅行の話をしながら、市内に入ると、ドライバーは「あんたらどこにでも行けていいよね」と言う。「オレはずっとこの街だよ」と初めて神妙な顔になり、けれどすぐに「ガソリン代追加してくんない?」とまた、プラスティックのごとき笑顔で笑った。